★⑦ママ殿、相馬市の実家帰省;松川浦と相馬港の様子 & 愛犬トリニティ、どじゃぶり★ ― 2011年08月26日 23時41分22秒
この度の東日本大震災、 被災地で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、またご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
そして長い道のりになるかと思いますが、皆様が安心して過ごせるように、1日も早い復興を切に願ってやみません。
みなさん、おばんですなの。私トリニティ、トリチャモランなの。
こちらこちらは「ちょっと定住?放送局」なのなの。
パパ殿、高知県へ出張中。
午後3時頃から、雲行きが怪しく、土砂降り、ゴロゴロ雷なって、私トリニティは、大きな雷さんに、「ワンッ!」と吠えてしまったなの。
今日は夜のお散歩はなしで、お家でおトイレ。
パパ殿、無事に帰って来きましたが、ほとんど乗り物酔いで具合悪くダウン状態。2時以上遅延したみたい。お疲れ様
今日は、8月13日土曜日に宮城県丸森町から、相馬市の沿岸部にある松川浦と相馬港に車で行って来ました。
一番酷い地域だったのですが、今後相馬市がどのように復興し、新しい町を育てていくのか、ママ殿が生きている間見られたら非常に勉強になると思い写真を撮りました。
車の中から写真を撮影し、母上様から『車から降りようか?』とも言われたのですが、とてもその場で感情を押し殺す事はできなくなってしまうので、車の中でできるかぎり見て、収めました。<BR>
ママ殿の実家から浜の方には、子供の頃数回行ったきりで、一人では行った事はありませんでした。
ロシア船がよく来ていたり、北朝鮮関連の噂話があったりしたので、一応ママ殿も女の子だったので、今回程ゆっくり全体を見るには初めてだったかもしれません。
道路は、震災直後の様に瓦礫が散乱していたり、積み重なっていたりと言うのはほとんどなく、静かな空間だけがポツポツ存在していて、人の影がほとんど見られず、車だけが移動しているだけでした。
姪っ子も下を向いて暗くなってしまい、母上様は震災直後辺りから恐らく精神的・肉体的に限界がピークになり、人前に出る事ができず、パニック症候群になっていたみたい。
今回、仙台に迎えに来てくれて、食事にでかけたり、被災地の酷い所にも行けるようになったのは、少し体調が良くなったからだそう。
実はママ殿も、震災後1カ月は家の中にいて、悶々として体調も良くなかった事を考えると、被災地で頑張っておられる方は、本当に言葉に言えないくらい辛いと思います。
広範囲に広がる地震の被害。
あの海の向こうには、津波で流して欲しくなかった・・・時間も戻して欲しいと思うママ殿でした。
道路は所々、直しているものの、デコボコしている部分があり、ゆっくり走行した方が背骨、腰、首にかかる負担が少なくなるので、良いと思います。
道を奥の方に進んでいくと、だんだん酷い状態が分かって来て、家自体もほとんどなくなって、地震以前の状態の街並みが載っているブログを拝見するとその差が分かりました。
通常の住宅では、大きな津波来てしまうと家自体が被害がひどく、大きな建物でも骨組だけ残っていたり、1階は全部流されてしまったが、2階は残っている建物もあり、建物の基礎しかない建物もあり、津波の怖さがヒシヒシと伝わってきました。
福島県の所で取れる魚達は、東京方面に出されてしまうため、あまり高級な魚などは地元にはあまり流れなかったと聞きます。
それに田舎なのに、魚の値段もそれほど安くなかったような・・・。
もちろん、ママ殿が見た海には誰もいませんでした。
お盆の時期なので、人も多いかな~と思ったのですが、車で移動の方で、家自体がなくなっているので、歩いていた人もほとんどいませんでした。
とても夜は来れません。寂しすぎます。
ママ殿は、自宅に帰省しても家族の手術のお見舞いやお葬式、パパ殿と私トリニティと一緒に来ても、パパ殿が極度の猫アレルギーで呼吸困難、目が赤くなったり酷くなるので、1泊したら良い方で今回程長期間(4泊5日)一人で実家で過ごしたのは、初めてくらい。
パパ殿に感謝でございます。
自衛隊の方々やボランティアの方々、地元の方々が一生懸命復旧作業をして頂いたので、本当に瓦礫があまり見当たりません。
別の場所に置いているのだと思いますが、自然と土に返るものではないので、今後の処理がどうなるのか、有効に活用していけるのでしょうか?
仙台の叔母から聞いたのですが、未だ義援金が入っておらず、いつ入るかも分からないのだそう。
相馬市の被災者の方々にも義援金は届いているのでしょうか?
大きな体育館などには、有り余るほどの救援物資や芸能人の方などの援助の手が多かったのですが、ママ殿の実家や家は住めるものの、食べ物が全く手に入らないとか、決まった数しか買えないなど制限がある中、なかなか避難している方が多い施設には行けず、大変な思いをしている方が多かったそうです。
最初一部のボランティアの方は、そう言う自宅待機している避難者の方々には援助の物資を提供してくださらない所もあったそうで、混乱があったそう。
しかし、未曾有の大地震による被害者は、大きな施設に助けてもらう方だけでなく、家があってもライフラインが復旧していなかったり、家を荒されたりしないように家を守るためいる人や、食べ物がない人など多岐に渡り助けを求めている人に有り余る物資を分けてくれる仕組みや、大変だと思いますが町を巡回して食べ物の配布などをする仕組みの重要性も今後考えて行かないといけないと再確認したママ殿。
福島県には、第一原子力発電所が6基(7・8基は計画中の原発で、2016年2017年に予定運転開始)。
また、第二原子力発電所には、4基。
計画予定の原発も含めると、12基もあるなんて、1つの県でおかしくないでしょうか?
そもそも、日本と言う小さな島国で地震が多発して、周りに海に囲まれて54基も。異常な数だと思います。
でも、政財界などと電力会社は強い結び付きなので、圧力も半端ないと思います。
この小さなブログも消されるかも。(^O^)/
テレビで、原発の周辺から逃げてきた住民の御年輩の男性の方が、「安全ならまた原発稼働しても良いよ」と言っておられましたが、電力会社の関係者か分かりかねますが、自分の土地に起こっている状態が把握できてないの人もいるんだな~とママ殿がっかり。
朝はお墓参りをしたママ殿。
これも20年ぶりくらいかも。その間に1度はあったかもしれませんが、本当に久しぶりでした。
檀家さんの中で発起人の人がいて、積み立てて置いたお金で地震で倒れている墓石を直すと言う事で、今回のお盆の時期には、すべてキレイな状態に戻っていて、ママ殿実家も墓石が倒れていたそうです。
墓石は通常では動かせないので、大変な作業なんですよね。移動は。
雑草取りくらいですみました。ありがとうございます。
みなさんの地域も今回のママ殿の実家の浜の様子を見て、地震や津波の怖さも知り、原発によって、この町が今後どうなるのか分からないのが現状です。
でも、頑張るしかないんです。阪神淡路の大震災も頑張れたので、根気強く、言葉少ない東北人ですが、乗り越えられると思います。
ちなみに、パパ殿やママ殿はどちらも東北人ですが、東北人らしくない性格です。
どちらかと言うと関西人ぽいので、発言内容はここまでハッキリ口に出して言う東北人はあまりおりません。
ただ、一度裏切られたり、嫌いになると根深くジワジワとその影響が現れやすいのが東北人らしいのかも。すぐに言葉に出さないけど、その物を買わなくなったり、行かなくなったりなど。
後から言ったりして、ジワジワも怖いですけどね。(^O^)/
※再度記載いたします。
『JR東日本 仙台支社』の常磐線 仙台駅~亘理駅までの列車時刻表をネットで見つけて、プリントアウトして持って行きました。
こちらが、『常磐線 仙台駅~亘理駅』の時刻表です。
新しい時刻表になっている場合があるので、これは8月12日~8月16日まで活用したママ殿の情報です。詳しくは最新情報を見て必ず下さいね。
『JR臨時代行バス 原ノ町駅~亘理駅』の時刻表です。
また参考までに『高速バス 相馬・新地~仙台線』で、仙台駅~相馬・新地乗り継ぎなしでバスで行く事もできます。
『相馬市役所』にも情報がありました。
最新の情報が更新されている可能性があるので、詳しくはHPなど再確認してみて下さいね。
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